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WORKS / STILL LIFE PHOTOGRAPHY

能面師 中谷克人 ―― 津幡に生きた、面打ちの記憶

2026.09.04 STILL LIFE PHOTOGRAPHY
能面師 中谷克人 ―― 津幡に生きた、面打ちの記憶

WORKS / STILL LIFE PHOTOGRAPHY

伝統工芸品としての能面と、能面師 中谷克人氏への敬意を込めて

石川県河北郡津幡町。加賀百万石の能楽文化「加賀宝生」が今も息づくこの地に、一人の能面師がいた。中谷克人。その名を検索しても、経歴も、受賞歴も、これといった記事もほとんど出てこない。派手な肩書きも、メディア露出もない。けれど石川の文化に触れてきた人ならば、その名を知る者は少なくないという。知る人ぞ知る、真の意味での「職人」だった。

私がその作品を撮らせていただいたのは、津幡の写真作家・北総一郎さんとのご縁だった。北さんはかつて、しいのき迎賓館ギャラリーAにて写真展「玉響(たまゆら)」を開催されている。中谷克人氏の生前の作品を様々な角度から撮影した個展で、実際の能面作品とともに展示された会場に、私も足を運んだ。息をのむ世界観だった。そのご縁を辿り、私も中谷氏の能面をレンズ越しに見つめる機会をいただいた。

この記事は、中谷克人という能面師がたしかに津幡に存在し、木に魂を吹き込むような仕事を残していたことを、写真という形で書き留めておくためのものだ。撮影当時、中谷氏はまだご存命だった。その後、病により他界されたと聞いている。だからこそ、この記録を風化させたくない。

STILL LIFE PHOTOGRAPHY

物撮りという緊張感

人物撮影にも当然、気を張る瞬間は多い。だが伝統工芸品、それも能面という「顔」そのものを写す物撮りには、人物撮影とはまったく違う種類の緊張感があった。誤魔化しがきかないのだ。

撮影は基本的な物撮りライティングから始めた。ライトの角度を変え、プレビューを重ね、光を変え、また重ねる。その試行錯誤の中で、能面という被写体が持つ独特の難しさに何度も向き合うことになった。木の凹凸、彩色の艶、目や口元にわずかに宿る表情――光の当て方ひとつで、面が纏う空気がまったく違って見えてしまう。

中谷氏への想いを寄せながらのシャッターは、一枚一枚がとても重かった。次のシャッターを切るまで、面をただじっと凝視する時間が長くかかる。そんな撮影だった。

KAGA HOSHO

加賀宝生という土壌

石川県では、能楽の中でも宝生流が金沢を中心に古くから盛んで、「加賀宝生」と呼ばれてきた。江戸時代、加賀藩五代藩主・前田綱紀が宝生流を好んだことに端を発し、藩主から町民まで広く能を嗜む土壌が育まれた。金沢の街には、能面や能装束を数多く収集した金沢能楽美術館もあり、今なお加賀宝生の精神は受け継がれている。中谷克人氏は、そうした土地に生きた面打ちの一人だった。

HANNYA

般若 ―― 怒りと哀しみを内に秘めた鬼女

今回撮影した能面の一つが、般若である。嫉妬と恨みを極限まで募らせた女性が鬼へと変貌する姿を表す面とされる。額から突き出す二本の角、逆立つように乱れた頭髪の描写、金色に彩られた目、牙をのぞかせる大きく開いた口――その造形はすさまじい。それでいて、眉には細く優しい線が描かれ、見る角度によって「怒り」だけでなく「哀しみ」も浮かび上がるように作られているとされる。『葵上』『道成寺』など、女性の情念を描く演目で用いられる面である。

中谷氏が打ったこの般若は、まさに凝視するほどに表情が変わって見えた一面だった。ライトの角度をわずかに変えるだけで、憤怒の相にも、悲哀の相にも見える。物撮りとしてもっとも神経を使った瞬間だった。

ZO-ONNA

増女 ―― 気高く、神々しい静けさ

もう一面が、増女である。室町時代の田楽師・増阿弥(ぞうあみ)によって創始されたと伝わる女面で、その名もそこに由来するとされる。天女や精霊など、気高く神々しい女性を演じる際に用いられる面で、切れ長の目、透明感のある肌の色、通った鼻筋が特徴とされ、凛とした玲瓏な印象を持つ。

般若とは対照的に、増女には静けさと気品があった。強い光を当てるほど表情が硬くなり、逆に柔らかい光の中でようやくその品格が浮かび上がる。中谷氏がどれほど繊細に彩色と削りを重ねたか、レンズ越しに何度も思い知らされた面だった。

CONTRAST OF EXPRESSION

一人の職人が生んだ、両極の面

一面は怒りと哀しみの化身、もう一面は神々しいまでの静けさ。両極にあるこの二つの面を、同じ木から、同じ手で打ち出していたという事実に、あらためて中谷克人という職人の技量の幅を思う。

PRESERVING THE MOMENT

残しておきたいこと

中谷克人氏がどのように能面の道に入り、誰に師事し、どんな歩みを経てきたのか――正直に言えば、私はその詳細を知らない。ネット上にもその記録はほとんど残っていない。だが、少なくとも一つだけ、確かなことがある。

石川県河北郡津幡町に、加賀宝生の能面を打つ職人がいた。その手から生まれた般若と増女を、私はこの目で見て、レンズ越しに向き合った。これは単なる物撮りではなく、いわば Fine Art Reproduction ―― 一つの伝統工芸品を、色も質感も歪めずに正確に記録し、後世に残すための仕事だったと今は思う。その記憶と写真を、中谷克人氏へのささやかなオマージュとして、ここに残しておきたい。

撮影:[Marveous Photo]/ 中谷克人氏の能面作品/ご縁:写真作家 北総一郎(写真展「玉響」しいのき迎賓館)

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